「美味しいよ」より「美味しそう」
何かを人に勧めたいとき、これ良いから試してみてってなんか強制的な感じがして言いづらい
言われた方も勧められたから試さないといけないよなって謎の束縛を感じてしまう
個人的には勧めたいときは良さそうな雰囲気を出すのがいいと思う
ご飯で例えるなら美味しいよって言って勧めるんじゃなく、何も言わず美味しそうに食べてそれを見せるって具合
これなら強制じゃないから変な圧を与えることもないし、もし自分が美味しそうに食べてるのを見たら「そんなに美味しいのかな」って気になって自らの意思で同じものを欲しくなる
この「美味しいよ」より「美味しそう」は教育にも役立つんじゃないかな
我が子に勉強してほしいとき、勉強しなさい!って言うよりも親が勉強してる姿を見せて興味を持たせるってほうがいいんじゃないかな
大人になって宿題みたいなものはなかなかないから、簡単なところでいうと本を読む姿とか
本を読みながら笑ったり何冊も読んでたら、「そんなに面白いものなのかな」ってなって自分から学ぶことを選ぶんじゃないかな
ここまで書いたことを要約すると「北風と太陽」「押してだめなら引いてみろ」ってことだけど、この考えって時代問わず人に効くものだと思う