ボディウォッシュは断然「泡」がイチバン!楽チン!
ボディウォッシュは泡で出るタイプをオススメします!
理由は2つです。
①泡立て不要だから楽!
これは当たり前すぎますね笑
けど楽ってなんだかんだ最強だと思うんです。
急いでる、疲れてるで早く済ませたいときってあるじゃないですか。
そんな時すぐに泡で出てくれたらすぐに洗えるから時間を短縮できていいですよ。
ほかにも、泡立てる必要がないって事は泡立てる用のネットなども不要になりますから、お風呂場に置くものが減るし買い替えも考えなくてよくなります。
②簡単に洗い流せる
液体タイプのボディウォッシュって意外と綺麗に洗い流せてないときがあるんです。
ちゃんと泡立てて使ったつもりでも少し液体のままだったりして流しきれてなかったり。
その点、最初から泡なら液体のままってことはないから少しのシャワー時間でも綺麗に洗い流せます。
この2つが泡タイプをオススメする理由です。
「なんだ、たった2つでかよ」って思うかもしれませんが、これって時間を有効的に使うことに繋がったり快適な生活にも繋がったりするので、侮れないのですよ。
そんなに良いのかと気になった方はぜひ試してみてください。
名探偵コナン102巻を読んでの考察(ちょっとだけ)
名探偵コナンの最新刊102巻を読みました。
今回もすごくおもしろかった!
そんな中でちょっと気になった点から少しだけ考察をしてみました。
その気になった点は小五郎と平次の舞台化事件の最後に出てきた謎の男。
いきなりかつ意味深すぎる登場でまだまだ謎だらけ。
でもなんだか黒ずくめのボスっぽさもある。
もしあの男をボスと仮定した場合を考えてみたら、ある仮説が浮かびました。
「黒ずくめのボスは京都に関係あり」
すごくアバウトですよね笑
けど今ボスの正体は烏丸蓮耶と言われています。
そしてこの男が登場した話の舞台は京都。
京都には烏丸という地名がある。
理由はこれだけですが、なんか関係ありそうじゃないですか?
「黒ずくめの組織の本部は京都」
こんなのもどうですか?
自分の頭脳じゃここまでが限界なので、頭の良い方ぜひこの線で考察やってください笑
(※これはあくまで102巻までの情報しか知らない状態での考察です)
名探偵コナン102巻の感想
名探偵コナンの最新刊の102巻を読んだ!(遅い)
学生の頃から単行本を買い続けてるのは名探偵コナンだけ。
だから人並み以上にはファン熱はあると思う。
せっかくだから備忘録的に感想を書きます。
=ここからネタバレ注意=
まず千速さん、やっぱりかっこいい。
かっこいい系の女性いいなぁ。
そして重悟さんとの関係性も良い。
警察内でいろいろペアができてるけど、この二人は一番好きなペアまである。
大岡紅葉はあそこまでいくと、あざとい通り越して性悪って印象になるよ笑
全ての店周るまで和葉達を帰さないとか、やる事もう拉致拘束スレスレ犯罪スレスレすぎて笑
一方、店巡りが紅葉の策略と知って早く店を全部回って平次と合流するために早食いをする和葉。
何度も悪寒を感じながらも食べ進める和葉の本気度はすごかった。
そんな和葉に合わせて一緒に早食いをする蘭。
それを見て、蘭を巻き込むのは自分勝手だし、お店の人にも味わって食べないのは失礼だと冷静になる和葉。
和葉、そういうところが良いところなんだよな。
幾分か大人だよなぁ。
102巻では刃物が出るシーンがそこそこある。
命について話すところだったりグロテスクな描写で使われたりと、かなりシリアスなシーンで出てきてる。
けど紅葉の事件のときは、ドジっ子あざとい演出の小道具で使われてる。
しかもぶつかって落とした包丁が、星マークを放ってその後床に垂直に刺さってる。
使われ方というか演出というか真逆すぎ笑
そんなコメディ要素のために使われてきてないだろ。
山村さんと諸伏さんの兄弟が子どものころに知り合った友達同士っていうのは、おそらく後付け設定かもしれない。
けどそれでも上手く結びつけてるのすごいなぁ。
諸伏さんが山村さんの口調で話すところはすごいほっこりした。
なぜストレスは感じる側が管理しないといけないの?
ストレスに関することを検索したときによく見るのは、
「ストレスの解消の仕方」
といった内容のもの。
確かにストレス管理は大事で解消法は必要な情報だけど、なんで感じる側が気をつけないといけないのだろう。
「ストレスを与えない立ち振る舞い」みたいなストレスを与えない方法に焦点を当てたものはほとんど見ない。
これって要は「ストレスは感じる側が対処すべきもので、与える側には何の問題もないです」という認識の社会になってるってことだと思うんです。
でもこの考えが当たり前だと、例えば会社だと部下がストレスを感じたり溜め込んでしまうのは部下自身の責任で、上司には何の責任もないってことになる。そんなのだったらいくら働きやすい職場にしたいと思っててもなるわけがない。
ストレスを解消するのが第一じゃなくてストレスを与えないことが第一の社会になることも働き方改革の一つだと思うから、もっとこの視点で現状を分析していくべきじゃないかな。
目指すべき教師、上司像はライアーゲームのアキヤマ?
ライアーゲームの登場人物であるアキヤマは教師、上司が目指すべき姿なんじゃないかと思うんです。
正確には、実写版ライアーゲームの第2作目「LIAR GAME ~再生~」のアキヤマ。
そう思う理由を書いていきます。
※ここから先は映画の内容が含まれるため、ネタバレしたくない人はここでブラウザバックすることをオススメします。
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まずライアーゲームについてざっくり説明すると、ライアーゲームとは大金をかけて行われる複数人によるゲームでその名前の通り嘘や裏切り、騙し合いOKのゲームです。
プレイヤーたちは巧みに嘘やトリックを使い騙し合い勝利して大金獲得を目指します。
このゲームへの参加は自ら行うのではなく強制的に参加させられるもので、ある日突然プレイヤーにはゲームへの招待状と1億円が届けられ、ゲームに勝てば1億円を得ることができます。
その代わりゲームに負けると1億円の借金を背負うことになります。
この作品はドラマでシーズン2まで、1作目の映画はその完結編として作成され、今回私が挙げたのはその続編となる2作目の映画です。
2作目の映画は、1作目の映画にてアキヤマによって潰されたライアーゲーム事務局の仕返しというような流れになっています。
この映画のメインキャラはもう一人いて、名前はシノミヤ ユウ。
アキヤマが講師をしている大学の学生です。
シノミヤのもとにゲームの招待状が届き助けをアキヤマに依頼するところから始まります。
アキヤマはそんなもの無視しろと言っていたのですが、借金が怖く参加してしまったシノミヤのために自分もゲームに参加します。
シノミヤのように渋々参加したもの以外にも大金が欲しくて参加したものも来ており、ゲームは序盤から駆け引きの応酬となります。
ゲームに勝つためアキヤマは作戦を練り、シノミヤを助けながらなんとかゲームを優位に進めていきます。
しかし、そんな中で嘘や騙しが次々と行われいく光景にシノミヤは段々恐怖を感じ人間不信になっていきます。
そしてアキヤマにも強い不信感を抱いてしまい、「アキヤマ先生だっていつか裏切ってくるかもしれない。だから裏切られる前に裏切った。」とついにアキヤマを自ら裏切ってしまいます。
自分の行動は間違っていなかったと思い込もうとするシノミヤでしたが、実は自分は敵の策略によってアキヤマを疑うように仕向けられていたことが分かりました。
自分のための必死に戦っていたアキヤマを裏切り、裏切った理由もアキヤマのせいにしていた自分の愚かさにシノミヤは心から崩れ落ちました。
アキヤマは優しさでもう一度シノミヤに手を貸せと言います。
そこでこのゲームを続ける自信が無くなったと言うシノミヤにアキヤマはこのゲームをどう終わらせたいのかが重要だと言います。
そしてシノミヤが導き出した答えは「全員が借金無しで平和にゲームを終えること」
この思いを聞いたアキヤマはそれなら協力しようと言い、再び動き出します。
シノミヤはゲーム途中で他の参加者に全員で協力することを提案し、アキヤマも自分が優勝する気が無いことを示し協力を仰ぎます。
ですが当然だれも協力せずアキヤマ達の優勝の可能性も無くなり、だれもがアキヤマの負けを確信しました。
しかし、実はアキヤマはシノミヤの提案が失敗したときのために勝つためのプランBを用意しており、それによりなんと大逆転することに成功しました。
そしてシノミヤの思うこのゲームの終わらせ方も無事実現することができました。
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さて、ここまでダラダラと映画の内容を書いてきましたがタイトルの意図に戻りたいと思います。
ここで注目したいのはアキヤマの行動。
生徒の思いを聞き、賛同できるものであれば協力。
そして普通に協力するのではなく、失敗したときでも大丈夫なように二つ目のプランを考えておき、生徒が失敗を恐れず行動できるようにサポート。
これって良い教師、上司の理想像だと思いませんか?
経験が浅く失敗を恐れて十分なパフォーマンスが出来なくなってしまわないように、アイデアを素直に聞き入れ、失敗が起きたとしてもその失敗を部下、生徒に押し付けて終わりにしようとするのではなく、ちゃんとすべり止めを用意してあげる。
自分もこんな人間にならないといけないなと思いました。
(作戦を確実に進めるために、作戦を自分の中だけに留めておいた部分に関してはアキヤマは抜けていたなとは思いますが)
この映画を見たことない人は教材として、見たことある人はこの観点で再度視聴してみてはいかがでしょうか?
子どもの将来は親の趣味がカギ?
子どもの感性が育まれるのって周りの環境に左右されると思うんだけど、その環境作りに一番関わってくるのが親だよね
そう考えると親はたくさんの趣味や分野を知ってる方が良いと思う
別に専門的な知識なんて必要ない
とにかくその分野の存在を知ってるってことが大事
それらを子どもに見せたりすることで、小さいときからたくさんの選択肢が世の中にあることを教えてあげられる
子どもも早い段階で人生の選択肢はこんなにもあるんだって気づけるから、将来の人生の道が大きく開けるし、選択肢もたくさん用意してあげられる
上に兄、姉がいる子ならその兄姉の趣味から間接的に早い段階で世界を知れるからいいけど、長男、長女は親くらいからしか世界を知ることができない
より一層趣味や知識をたくさん持つことは重要に感じるでしょ?
「美味しいよ」より「美味しそう」
何かを人に勧めたいとき、これ良いから試してみてってなんか強制的な感じがして言いづらい
言われた方も勧められたから試さないといけないよなって謎の束縛を感じてしまう
個人的には勧めたいときは良さそうな雰囲気を出すのがいいと思う
ご飯で例えるなら美味しいよって言って勧めるんじゃなく、何も言わず美味しそうに食べてそれを見せるって具合
これなら強制じゃないから変な圧を与えることもないし、もし自分が美味しそうに食べてるのを見たら「そんなに美味しいのかな」って気になって自らの意思で同じものを欲しくなる
この「美味しいよ」より「美味しそう」は教育にも役立つんじゃないかな
我が子に勉強してほしいとき、勉強しなさい!って言うよりも親が勉強してる姿を見せて興味を持たせるってほうがいいんじゃないかな
大人になって宿題みたいなものはなかなかないから、簡単なところでいうと本を読む姿とか
本を読みながら笑ったり何冊も読んでたら、「そんなに面白いものなのかな」ってなって自分から学ぶことを選ぶんじゃないかな
ここまで書いたことを要約すると「北風と太陽」「押してだめなら引いてみろ」ってことだけど、この考えって時代問わず人に効くものだと思う